島田営業所の田中です。
今日はみんな大好きイニエスタさんのJリーグラストゲーム。
イニエスタさんといえば、僕が小学4年生の時、隣の席のSちゃんに好きなサッカー選手を訊かれて「イニエスタ」と答えたことがあります。
Sちゃんはサッカー好きのお父さんの影響でイニエスタさんの名前も知っていたので、意外と話が盛り上がった記憶があります。懐かしい思い出です。
大学生のころには、Jリーグでプレーするイニエスタさんを一回は見ておこう!と思って、名古屋の大学に通っていたので名古屋で開催された試合を見に行きました。なのに、なんとその日はイニエスタさん欠場で悲しかったので、数週間後に、神戸までわざわざ見に行きました。就活真っただ中だったので、名古屋でどっかの面接受け終えてそのまま新幹線に乗っていきました。
僕はイニエスタさんより後にサッカー初めて、イニエスタさんより先にサッカーやめちゃいました。けど不動産業界ではイニエスタさんより先輩なので引き分けです。勝ち点1です。
イニエスタさんは2018年にJリーグのヴィッセル神戸に移籍するまで、ずっと母国スペインのFCバルセロナというチームにいました。
僕が小、中学生のころ(特に2008年、2009年ごろから2010年代前半くらい)は、世界のサッカーの頂点にバルセロナが居て、イニエスタさんはメッシたちと共にその中心選手で、みんなの憧れでした。
当時のバルセロナは強すぎていろいろな方面に影響を与えました。日本では森山直太朗さんが「そしてイニエスタ」という曲を出したし、僕の読んでた漫画雑誌みたいなのにもなぜか唐突にバルセロナの話題がぶっこまれていました。
イニエスタさん、そしてバルセロナはたくさんの人を魅了しましたが同時に、サッカー界にある弊害をもたらしました。
それは世界中に似非(えせ)バルセロナが量産されたことです。
バルセロナはたくさんパスを回してボール支配率(試合時間全体に対してチームがボールをどれだけ保持しているかを表す指標)が極端に高かったので、それをみんな真似しました。
無駄に延々とパスを単調に回して、一向にゴールへたどり着かない退屈な、没個性的なサッカーをするチームがプロだけじゃなく、子供たちのサッカーにも増えました。
けど、あのバルセロナのサッカーって本当は、イニエスタさんをはじめ、メッシ、シャビ・エルナンデス、ブスケッツ、ダニエウ・アウベスのように強烈に際立つ個性があってこそ成り立っていたスタイルでした
。
当時はみんなボール支配率というわかりやすいモノ、数字に惑わされて、その本質を見落としていました。外見だけをまねしても本物にはなれないって、わかってるようで陥りやすい穴かなと思います。
イニエスタさんを入口に、物事の本質を見るべきだ、という話になりました。深いですね。イニエスタさんのダブルタッチくらい深い。
…アンドレス・イニエスタは偉大です。